退治その一
私はかつて一度、都会を離れようと思い立ったことがある。
その時はまだ冒険者だった。
強さというものを誤解している若い時代によくあるように、
とんでもない思い上がりから来る憂鬱症に悩まされてのことだ。
ああ、私は強くなりすぎた。
この世のどんな達人も私にはかなわない。
最強と呼ばれる怪物を何匹倒そうと、私の心を満たすことは出来ない。
かつての神秘的な冒険の数々は、いまや何の変哲もない日常となり果ててしまった。
それはいよいよ広場にたむろす冒険者を皆殺しにしたくなるほど悪化してきた。
そこで私は気晴らしに旅に出ることにした。
断崖の町に訪れたのもその旅の最中だった。
大陸の北西、旅人を遠ざける位置に存在する人口数千人の小さな村。
私はここにしばらく身を落ち着けることにした。
宿の主人に長期滞在の申し出をすると、ずいぶんと奇妙な顔をされた。
村人も認めるほど簡素な村だった。
多少の蓄えがあったので生活に困ることはなかったが、腕が鈍るのを恐れ、すすんで住民の手伝いをした。
ネズミや小物の魔物退治などは特に喜ばれた。
よほど暇なときには遠くの町に使いに行くこともあったが、決して長居はしなかった。
ある日のことだ。
遠出から帰ると宿屋の親父が妙ににやつきながら言った。
「お帰り。あんた都会では結構な有名人だそうじゃないか。息子の手紙に書いてあったよ。
こりゃもっと立派な部屋に泊まってもらわにゃなるまい。」
「いや、このままで結構だよ。」
「ところで、そんなあんたを見込んでたのみがあるんだが。」
「サインならお断りだよ」
「いやそれは結構。」
親父は急に真面目な顔になって言った。
「三週間ほど前だったかな?満月の夜があったろう。ずいぶんと不気味な夜だったよ。夜中に戸をたたく音がしてな。
こんな夜中に奇妙だと思ったんだが、おそるおそる戸をあけてみたんだ。
するとそこには大きな荷物を引きずった青白い顔をした女が立っていてな。
村はずれの廃屋を貸してくれって言うんだよ。最初は断ろうと思ったんだがね・・・。」
また噂話か。熱心なことだ。
長くなりそうだったので私はいすを引き寄せた。
親父の話を聞く振りをしながら、滅多に変わることのない掲示板に目を通していた。
そして掲示板のすみに女の名前で最近追加されたネズミ退治の依頼を発見した。
「・・・結局かしてやることになったんだ。するとな、その日以来奇妙なことが起きるんだよ。
様子を見に行った奴によるとあの廃屋には一人しか居ないはずなのに家の中から話し声が聞こえるって言うんだ。」
何の変哲もない旅人の話をいかにも大げさに扱うのは親父の特技だ。
私は次の仕事が決定したので、少し親父の話に付き合ってやる気になった。
親父はさらに次のようなことをまくし立てた。
「最近急にネズミの害が増えたんだよ。」
「女房に話したらな、あの大荷物の中には絶対死体が入ってるに違いないって言うんだ。」
「昼間は絶対に出歩かないんで住民はあの女は吸血鬼じゃないかって騒いでるんだ。」
私はとうとう笑いをこらえきれなくなった。
「ははは。わかった、頼むからもうやめてくれ。それで、俺はその吸血鬼をどうすればいいんだ?」
「ちょうどその女から依頼が届いていてな。名前はええと・・・そうそう『イメリア』だ。
このネズミ退治の依頼を受けるフリして様子を見てきてくれないか。」
私はこの親父を見習わなくてはならない。
もし私に親父の何十分の一かでも自由な心があれば気鬱症になどかかることなど無かったろう。
宿の親父が言っていた村はずれの廃屋についた。
親父に「昼間は絶対に出歩かない」と聞かされていたが、あえて昼間に訪問することにした。
出てこないのならば今は棺で眠っているってことだ。
戸をたたいた。
残念ながら(宿屋の親父にとってだが)、すんなりと戸が開いた。
ぬっと青白い顔が覗いた。
なるほど、親父の言っていたとおりだ。
まるで喪服のような黒い服を着た女性。彼女がイメリアに間違いない。
青白い顔と、長く垂らした髪のせいでかなり年上に見えるが、実際はまだ二十代だろう。
「どなた?」
「ネズミ退治屋にございます。」と、私は少しおどけた調子で言った。
彼女は無関心な様子で「どうぞ」とだけ言った。
青白い顔だけで吸血鬼と決めつけるとはずいぶんと早まった考えだ。
私は1年のうち365日を洞窟で過ごす奴と出会ったことがある。
そいつも彼女のように青白い顔をしていた。
暗闇に目が慣れているため松明なしで物を見ることが出来ると自慢していた。
彼女も暗闇を住処とする人間か、あるいは長年石壁の中に暮らしていた身という可能性もある。
未知なる神秘性は失われかけたが、そこで思い直した。親父を見習わねばならない。
(いやいやあの洞窟野郎も、自分で気づいてないだけで実はすでに吸血鬼だったのかもしれぬ。)
彼女の案内で屋内に入った。
そこは全くの廃屋だった。まだ何も手を付けていないように見える。
客間に通されるのかと思ったが、玄関のまま説明を始めた。
「最近ここを借りたんだけれど、ネズミが巣くっているらしいの。早いとこ片づけてちょうだい。」
説明はそれだけだった。
無駄なことはしない。依頼を出し慣れているな、と思った。
去る前に彼女は付け加えた。
「ただし・・・一番西側の部屋だけは絶対に開けないでちょうだい。」
なぜこの言葉を付け加えたのだろう?
秘密の部屋の場所を自ら教えて下さったわけだ。
これは調べないわけにはいくまい。
視界に入ったネズミを手当たり次第に屠りながら屋敷を見て回った。
積もったほこり、蜘蛛の巣、腐って抜けた床。本当に何も手を付けていないようだった。
(これじゃあいくら退治してもきりがないだろうに。さて、そろそろ行ってみるか)
ここだ。一番西側の部屋。
そっとノブに手をかけてみる。
鍵がかかっているようだ。
鍵穴から中を覗いてみるが、真っ暗で何も見えない。
針金を取り出し、鍵穴に差し込んだ。
その時、背後でネズミが鳴いた。
反射的に目をやった時、そこに見えたものに驚いたあまり思わず体が痙攣した。
「そこは開けないでって言わなかったかしら?」
いつの間にかイメリアが立っていた。
「ああ・・・そうだったかな?」
(全く気づかなかった・・・勘が鈍ったかな?)
早いところ退散しようと思ったが、彼女が通路の真ん中から動かないのでしばらくにらみ合う羽目になった。
気まずい数十秒の後、彼女の向こうでネズミが再び鳴いた。
私はここぞとばかりに位置を入れ替えた。
ネズミと大げさと思われるほど壮絶な格闘を繰り広げていると、イメリアが声をかけてきた。
「私買い物に出かけてくるわ。あとをよろしく。」
そう言ってから彼女は通路の奥へ姿を消した。
私は窓から外を眺め、彼女が林道の向こうに見えなくなるまで目で追った。
さて、今度は落ち着いて調査が出来るぞ。
念のため背後に気を遣いながら鍵を開けた。
きわめて慎重にやったので音もなく鍵を開けることに成功した。
窓という窓を閉め切ってあり、部屋の中は真っ暗だった。
ひんやりとした空気の中に混じって、強い薬品のにおいが鼻を刺激した。
目が慣れてきて最初に見えたのは窓を避けるように置かれた一台のベッドだった。
ベッドのふくらみが人間の形をしている事に気づくのには少し時間がかかった。
今まで全く生き物の気配を感じなかったからだ。
彼女が隠していたのは病人だったのか。
その時心の中にあった妙な義務感に後押しされて、
どうしても顔を見届けたいという思いを押さえることが出来なかった。
ベッドのそばまでそっと歩いていき、病人の顔をのぞき込んだ。
思わずはっと息をのんだ。
ミイラだった。
死後かなり経過しているようだ。
皮膚はすっかり乾燥して骨が浮き出ている。
丁寧に手入れされたミイラからは防腐剤のにおいがした。
今までの遊び半分の気分は一瞬にして消えた。
自分はひどく危険なことに首を突っ込んでしまったのではないだろうか?
だが、すぐにまた別の考えが浮かんできた。
危険?それこそ望むところだ。
今の内に色々と調べておこう。彼女が戻ってこないうちに。
ところがそこで、ふと宿屋の親父の言葉が頭に浮かんだ。
「昼間は絶対に出歩かない・・・」
親父はそういわなかったか?
はっとして背後を振り返った。
戸口に彼女が立っていた。
「・・・やっぱりみたのね。」
彼女はゆっくり歩いてきて、後ずさりした私の横を抜けてベッドの脇に立った。
ミイラの上にかがみ込むと、いとおしげに顔をなでた。
「紹介するわ。私の夫。」
「夫?しかし、これは・・・」
「これ、なんて物みたいに言わないで。」
「しかし、こいつは・・・」
「・・・死んでいるって言いたいの?・・・わかっているのよそんなことは!」
彼女は再びミイラを見つめながら言った。
「さあ、もう十分見たでしょう?この部屋から出ていって。」
私は退散した。
さてどうするか。ネズミ退治は中途半端だった。
女主人を怒らせてしまった以上、依頼を達成することは普通に考えれば絶望的かもしれない。
だが私には、私をクビにするようなことは無いだろうという妙な自信があった。
彼女の今までの不可解な態度は、まるであのミイラを見つけて欲しがっているようだった。
私はネズミ退治を再開した。ゆっくりと時間をかけて。
やがて日が落ちてきた。彼女が現れる気配は全くない。
全く無駄な期待をしていたのだろうか?
以前、酒場の破落戸どもから年中死体を引きずり回して歩く人間の話を聞いたことがある。
盗品を都市から持ち出す際、死体の身につけさせることによって役人の目をくらますそうだ。
だが、この女主人に限ってはそんなたぐいの話では無い。
明らかに彼女の目的はあの死体だ。
彼女は夫の死を受け入れることが出来なかった。
いつの日か生き返るのではないかという無駄な期待を抱きつつ、救いの手を待ち望んでいると言った様子だ。
木々の隙間からこぼれていた夕日もすっかり見えなくなった。
結局彼女は現れなかった。
帰ろうと振り向いたところで足を止めた。
あと数歩のところに彼女が立っていたのだ。
「・・・あなた、まだいたの?」
「ああ、ネズミ退治がまだ終わってなかったんでね。」
沈黙。
どうもやりにくい。
「・・・日も落ちたわ。酒場に戻るつもりが無いのなら二階の部屋をどうぞ。」
そういうと彼女は音も立てずに去った。
その部屋にはベッドもなかった。
それどころか、用心しないと床を踏み抜いてしまいそうだった。
もっとも、冒険者の私にとってみればそんなことはどうでもいいことだが。
剣を抱えて窓のそばに腰を下ろした。
目を閉じると、張りつめていた意識は次第にほぐれていった。
意識の上に、今日一日の様々な出来事が脈略もなく浮かんでは消えていく。
私は意識のするがままにさせておいた。
突然、誰かに呼ばれたような気がして目が覚めた。
いつの間にか月明かりが窓から差し込んで床を照らしている。
数時間ほど眠っていたらしい。体内時計も渋々それを認めた。
私を起こした原因に注意を向けてみることにした。
誰かの話し声が聞こえる。こんな夜更けに客人だろうか?
再び寝付くことは不可能に思えたので階下に降りてみることにした。
例の西側の部屋から揺らめく蝋燭の光が漏れている。
息を殺してそっと覗いてみた。
そこにいたのは女主人だけだった。
女主人は恍惚とした表情を浮かべながらミイラに話しかけている。
「・・・あの人、帰らなかったわ。よっぽどあなたに興味があるみたいね・・・」
無論、ミイラが返事を返す様子は全くない。
だが彼女のほうでも返事を期待していない様子だった。
「ねえ、あの人にお願いしようと思うの。あなたは反対するかもしれないわね・・・。
でももう決めたの。あの人きっとやってくれるわ。冒険者ってなんにでも首を突っ込みたがるもの・・・。
あなたもそうだったわ。ねえ、初めてあったときのこと覚えてる・・・?」
私はそこで部屋をあとにした。
こんな物を見るくらいなら本物の吸血鬼であった方がよかった。
剣の一振りで事が片づくのならこれほど簡単なことはない。
私は部屋に戻り再び眠ろうと腰をおろしたが、その日は二度と眠りにつくことは出来なかった。
「変なものは入ってないから安心して。」
と、彼女は皿をかき回している私に言った。
私は断れず朝食を共にしているわけだが、決して疑っていたわけではなくて、材料は何かと気になっていただけなのだ。
私が努めて冷静に料理を口に運んでいると彼女が口を開いた。
「ねえ、私っておかしいと思う?」
唐突な質問に思わず手が止まった。
「まあ、その・・・少し変わってるな。」
「そうよね・・・いつまでも夫の亡骸と暮らしているなんて・・・。」
私はすっかり食欲を無くしてしまったのだが、それでも何とかしようと皿をじっと睨みつけた。
しかし、結局食事は諦めるしかなかった。
「その、ほんの好奇心から聞くんだが、なぜ埋葬しないんだ?言いたくないならかまわないが。」
「なぜかしら・・・。理由なんて無いわ。でも、強いて言うなら、私にとってあの人が私の生活すべてなの。
いいえ、ちがうわ。逆よ。あの人が・・・私の世界を開いてくれた・・・。あの人に会うまでは私の世界には何にもなかった。
それはきっとあの人も同じ。あなたにはわからないでしょうね。」
「残念ながら全くわからないな。しかし、埋葬していないと言うことは、
その・・・彼が、生き返ることを期待しているんじゃないのかい。」
「そうかもしれないし、そうじゃないのかもしれない・・・。昔は色々やったてみたわ。
神官にも頼んでみたし・・・。究極の魔法も探してみた。でも駄目だったのよ。肉体の寿命が来ていたの。
寿命で死んだ人間を生き返らせるなんてことは神様だって出来っこないわ。」
「寿命か。そういえば世の中には寿命を延ばす秘宝があるって聞いたことがある。」
「知っているわ。それも探したもの。でも・・・間に合わなかった。間に合わなかったのよ。」
彼女の顔が険しくなった。余計なことを言ったかもしれない。
昨日の晩に彼女がミイラに話していた頼み事とは一体なんだろうか。
ここまでの話を聞いたら私に出来ることなど何もないだろう。
私は早々に引き上げようと思った。
「そうかい。じゃあ、ネズミ退治の他に何か俺に出来ることはないか?」
「あなたに出来ること?」
「そうだ。色々詮索してすまなかった。そのお詫びだ。」
彼女はうつむいて何かをじっと見つめていた。
彼女は徐に顔を上げこう言った。
「彼の埋葬を手伝って欲しいの。」
私は廃屋の裏で穴を掘っていた。
(思ったよりしんどいな・・・。)
さらに掘ると、石にぶち当たった。
(いてっ・・・何やってんだ俺は。)
土をすくってはかき出す。
(・・・俺はネズミ退治に来たんじゃなかったか?)
土をかき出すのも辛くなってきた。
(いやな気分だ。自分の墓を掘ってるみたいだ。)
「おい、そろそろいいんじゃないか?」
「そうね。」
二人で協力し、ミイラの入っている棺を穴の中におろした。
棺はとても軽かった。
棺をおろし終わり、穴から這い出すと、彼女の姿が見えないことに気がついた。
振り返ると、彼女は穴の中にいた。
私は驚いて尋ねた。
「おい、何やってんだ。埋めるから上がってこい。」
彼女は私の言葉を無視して棺のふたを開けた。
棺には釘が打っていなかった。
私の心臓は鼓動を早めた。
「おい蓋を閉めろ!上がってこい!」
彼女は一度ミイラの顔をなでると、寄り添うように棺の中に横たわった。
私はたまらず飛び降りた。
「いい加減にしろ!そこから出ろ!」
私は彼女の腕をつかんだ。死人のように冷たかった。
「まだ間に合う、考え直せ!」
「考え直す?一体何を?あなたわかってたんでしょう。私には彼の他に世界はないの。
それに・・・もう遅いわ。さっき薬を飲んだ・・・。」
彼女の手から小瓶が転がり落ちた。
「なんて事だ。まともじゃない!」
「そうね・・・。まともじゃないわ・・・。でも・・・世の中にまともな人間なんて一人でもいると思う?
・・・そんな顔をするとは思わなかったわ。ありがとう・・・親切な冒険者さん。最後にあなたに会えて・・・よかったわ。
棺に・・・くぎを打つのを忘れないで・・・棺を埋めたら・・・私たちのことは・・・忘れてちょうだい・・・そして・・・さようなら・・・。」
やがて彼女は動かなくなった。
私はただ呆然と立ちつくしていた。
それから、おもむろに釘を打ち始めた。
あれから数十年の月日が経った。
この出来事は私の人生にどれほどの影響を与えたのか?あるいは全く与えなかったのかもしれない。
ただ、あの日以来、私が断崖の村に近づくことは二度と無かった。
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